ふと、昨年のことを思い出した。
ある仕事の関連で、昔の友人に久しぶりに会った時の事、「最近は狭山事件の事を調べている。現地調査にも何度か出掛けた。集会にも行った事がある。どうみても(犯人とされている)石川さんは冤罪だ」
と言った処、
「あれ?右翼の筈の貴兄が、なんでまた左翼になったんですか?転向したのかな?」
と言われた。
(確かに小生の思想傾向はどちらかと言う
と「右」であり、それは認める、実際、
過去にはその様な活動すら、現役として
やっていたし未だその人脈は活きている)
そう言った彼は自称「左翼」であった。
が、何も活動などしてはいないし、今後ともしないであろう。勿論、彼曰く「左翼の活動である『狭山裁判闘争』
など、今迄も何もしていないし、今後ともやりはしない。
つまり、このテの「自称右左」が多いのだと言う事と、ヒトが何かに関わると、なにかしら、そこに「右」「左」の別を理屈としてつけたがる。何故こうなるのであろうか。
右だ、左だと言う前に、せめて「本当に石川氏は冤罪なのだろうか、冤罪だとしたら、自分は何をすべきなのだろうか」とは、考えないのだろうか。
「狭山事件」、と言う固有名詞を語っただけで、たんにそれを語った小生に対して、「右だ左だ、転向だ」、と言う言葉しか出ないのであろうか。
23日は、石川一雄さん逮捕の日から、もう、42年目の日であった。その前日付けで、先日の現地事務所訪問のお礼に、石川さんご夫妻から狭山茶が贈られて来た。ここに、今更「右」も「左」も、あるのだろうか。
小生は、それは「狭山事件」「狭山裁判」とは、様々議論はあるだろうが、別次元の問題であると思う。